| ・ローマはみたび世界を征服した。最初は武力により、二度目は宗教により、最後は法律によって。 |
| ―「英米法概説」田中和夫著からの孫引き― |
| イェーリング |
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| ・強制のない法規などというものは自己矛盾であり、燃えない火、輝かない光のようなものである。 |
| ―「法のことわざと民法」北大選書からの孫引き― |
| イェーリング |
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| ・権利=法(レヒト)の目標は平和であり、そのための手段は闘争である。 |
| ―「権利のための闘争」村上淳一訳P29― |
| イェーリング |
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| ・闘争を伴わない平和、労働を伴わない享受は、ただ人間が楽園を追放される前にのみ可能であった。その後の歴史においては、平和と享受は絶えざる刻苦の結果としてのみ可能なのである。 |
| ―「権利のための闘争」村上淳一訳、岩波文庫P31― |
| イェーリング |
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| ・日本における自動車通行のもっとも特徴的な点を一言にしていえば、歩行者のために存在していた道路に、歩行者の権利を侵害するようなかたちで自動車の通行が許されているという点にある。 |
| ―宇沢弘文「自動車の社会的費用」岩波新書P67― |
| 宇沢弘文 |
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| ・ユダヤ人差別を論じたものがほとんどすべてだめなのは、その筆者が自分だけはそんなものとは無縁だと心の中できめてかかるからである。 |
| ―「オーウェル評論集」岩波文庫P274― |
| オーウェル |
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| ・現代の知識人は自分の心の中をこまかく正直に検討してみるがいい。そうすればかならずナショナリズム的な忠誠心やなんらかの憎悪がひそんでいるのに気づくはずである。 |
| ―「オーウェル評論集」岩波文庫P275― |
| オーウェル |
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| ・ナショナリストはすべて、そっくりの事実をいくつ見ても、それら相互の類似性を認めないという特技を持っている。 |
| ―「オーウェル評論集」岩波文庫P321― |
| オーウェル |
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| ・ナショナリストは、味方の残虐行為となると非難しないだけでなく、耳にも入らないという、すばらしい才能を持っている。 |
| ―「オーウェル評論集」岩波文庫P322― |
| オーウェル |
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| ・ナショナリストはすべて、過去を改変できるものだと信じている。ときには彼が当然そうなくてはならないと思うとおりの事が起こる幻想の世界にまよいこんで(中略―管理人)こういう幻想の断片をすこしでも多く、歴史書に持ち込もうとする。 |
| ―「オーウェル評論集」岩波文庫P323― |
| オーウェル |
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| ・一般に思いつきというものは、人が精出して仕事をしているときにかぎってあらわれる。 |
| ―「職業としての学問」岩波文庫P24― |
| マックス・ウェーバー |
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| ・思いつき、しかも独創的な思いつきにとぼしい連中は、商人になっても実業家になっても、一生かかって精々番頭か技師になるくらいが関の山であろう。 |
| ―「職業としての学問」岩波文庫P26― |
| マックス・ウェーバー |
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| ・自己を滅して専心すべき仕事を、逆になにか自分の名を売るための手段のように考え、自分がどんな人間であるかを「体験」で示してやろうと思ってるような人、つまり俺はただの「専門家」じゃないだろうとか、どうだ俺のいったようなことはまだだれもいわないだろうとか、そういうことばかり考えてる人、こうした人々は、学問の世界では間違いなくなんら「個性」のある人ではない。 |
| ―「職業としての学問」岩波文庫P28― |
| マックス・ウェーバー |
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| ・学問上の「達成」はつねに新しい「問題提出」を意味する。 |
| ―「職業としての学問」岩波文庫P30― |
| マックス・ウェーバー |
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| ・自分の知識や学問上の経験を聴講者らに役立たせるかわりに、自分の政治見解をかれらに押しつけようとしたならば、わたくしはそれは教師として無責任きわまることだと思う。 |
| ―「職業としての学問」岩波文庫P50― |
| マックス・ウェーバー |
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| ・聴き手が、しかもおそらく自分と意見をことにするであろう聴き手が、沈黙を余儀なくされているような場所で、得意になって自分の意見を発表するのは、あまりに勝手すぎるというものであろう。 |
| ―「職業としての学問」岩波文庫P60― |
| マックス・ウェーバー |
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| ・現代の知識階級の人々の多くは、いわばなにか保証つき本ものの古いもので自分をかざりたいという欲望を持っている。 |
| ―「職業としての学問」岩波文庫P70― |
| マックス・ウェーバー |
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| ・教壇上の予言は、結局たんなる狂信的諸宗派をつくるだけであって、けっして真の共同体をつくりだしはしないであろう。 |
| ―「職業としての学問」岩波文庫P72― |
| マックス・ウェーバー |
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| ・国家とは、ある一定の領域の内部で―この「領域」という点が特徴なのだが―正当な物理的暴力行使の独占を(実効的に)要求する人間共同体である。 |
| ―「職業としての政治」岩波文庫P9― |
| マックス・ウェーバー |
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| ・「シーザーを理解するにためには、シーザーである必要はない。」そうでなければ、あらゆる歴史叙述は無意味であろう。 |
| ―「理解社会学のカテゴリー」岩波文庫P14― |
| マックス・ウェーバー |
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| ・戦争は一種の強力行為であり、その旨とするところは相手に我が方の意思を強要するにある。 |
| ―「戦争論(上)」岩波文庫P29― |
| クラウゼヴィッツ |
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| ・僕は評論家的な評価よりも彼女(奥沢涼子―管理人)のピアノ自身が好きですね。暖かくてやさしくてかおりがあって。なんて言うのかな、寒い日にようやくたどり着いたシチューみたいですね。 |
| ―ドラマ『ロングバケーション第1話』― |
| 佐々木教授(森本レオ) |
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| ・社会の病気は、肉体の病気と同様、直面しなければ自覚されないままに、見えない部分で悪化の度を強めていくものである。 |
| ―笹倉秀夫「法哲学講義」東京大学出版会P1― |
| 笹倉秀夫 |
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| ・権力とは自己を固め拡大しようとする本能を持っており、市民が自覚しないことに乗じて全体に浸透していくものである。 |
| ―笹倉秀夫「法哲学講義」東京大学出版会P2― |
| 笹倉秀夫 |
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| ・大事なのはハンターになってから何をなしたかです。借りを受けたのならこれからじっくり返していけばいい。大事なのは常にこれから何をなすか何を残したかですよ。 |
| ―アニメ『ハンター×ハンター第29話』― |
| サトツ |
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| ・政治的な行動や動機の基因と考えられる、特殊政治的な区別とは、友と敵という区別である。 |
| ―「法哲学講義」笹倉秀夫P9から孫引き― |
| カール・シュミット |
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| ・涼子ちゃんはね、あんた(葉山南―管理人)と違うの。心の中がね、繊細なの。降ったばかりの雪でできてるんだよ。あんたみたいにさ、人に踏まれて人の足跡だらけになってないの。 |
| ―「ドラマ『ロングバケーション第2話』― |
| 瀬名英俊(木村拓哉) |
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| ・人の合格にとやかく言うことなんてない。自分の合格に不満なら満足できるまで精進すればいい。 |
| ―アニメ『ハンター×ハンター第30話』― |
| ゴン・フリークス |
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| ・自由は置き物のようにそこにあるのでなく、現実の行使によってだけ守られる。いいかえれば日々自由になろうとすることによって、はじめて自由でありうる。 |
| ―「日本の思想」丸山真男著P155〜156― |
| 丸山真男 |
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| ・マルクス主義がいかに大きな真理性と歴史的意義をもつているにしても、それは人類の到達した最後の世界観ではない。 |
| ―「現代政治の思想と行動」P552― |
| 丸山眞男 |
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| ・良識はこの世でもっとも公平に分け与えられているものである。 |
| ―「方法序説」谷川多佳子訳P8― |
| デカルト |
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| ・無知は富と結びついて初めて人間の品位を落とす。 |
| ―「読書について」岩波文庫P127― |
| ショウペンハウエル |
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| ・読書は、他人にものを考えてもらうことである。 |
| ―「読書について」岩波文庫P127― |
| ショウペンハウエル |
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| ・知と愛とは同一の精神作用である。それで物を知るにはこれを愛せねばならず、物を愛するのはこれを知らねばならぬ。 |
| ―「善の研究」岩波文庫P142― |
| 西田幾多郎 |
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| ・法の生命は論理ではなく経験である。 |
| ―「アメリカ法入門」伊藤正己 木下毅著P227から― |
| ホウムズ |
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| ・哲学者たちは、世界をいろいろに解釈してきただけである。しかし、たいせつなことは、それを変えることである。 |
| ―『フォイエルバッハにかんするテーゼ』(「フォイエルバッハ論」新日本文庫P95所収)― |
| カール・マルクス |
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| ・今日までのあらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である。 |
| ―「共産党宣言」岩波文庫P33― |
| カール・マルクス |
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| ・哲学は現実の中から生まれる。そしてそこが哲学の元来の出発点であり、哲学は現実から出立するのである。 |
| ―「哲学入門」岩波新書P1― |
| 三木清 |
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| ・さらにもっと重要なことは、「正義」の戦いがもたらす効果を慎重に分析しておかないと、極めて望ましくない事態が、「正義」から生じるかもしれない。政治家がその可能性を読み落としていたならば、「正義」の戦いは極めて無責任な戦いになってしまう。 |
| ―「政治家の条件」岩波新書P3― |
| 森嶋通夫 |
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| ・中身が空疎になればなるほど、その語句はほとんど何の意味にでもとれるようになり、まもなくほとんどすべての事柄を意味するようになる。 |
| ―「世論(下)」岩波文庫P41― |
| W・リップマン |
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| ・ニュースと真実とは同一物ではなく、はっきりと区別されなければならない。 |
| ―「世論(下)」岩波文庫P214― |
| W・リップマン |
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| ・人間は自由なものとして生まれた、しかしいたるところで鎖につながれている。自分が他人の主人であると思っているようなものでも、実はその人々以上にドレイなのだ。 |
| ―「社会契約論」岩波文庫P15― |
| ルソー |
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| ・あらゆる社会の中でもっとも古く、またただ一つ自然なものは家族という社会である。 |
| ―「社会契約論」岩波文庫P16― |
| ルソー |
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| ・暴力が最初のドレイたちをつくりだし、彼らのいくじなさがそれを永久化したのだ。 |
| ―「社会契約論」岩波文庫P18― |
| ルソー |
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| ・最も強いものでも、自分の力を権利に、[他人の]服従を義務にかえないかぎり、いつまでも主人でありうるほど強いものでは決してない。 |
| ―「社会契約論」岩波文庫P19― |
| ルソー |
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| ・いかなる人間もその仲間にたいして自然的な権威をもつものではなく、また、力はいかなる権利をも生みだすものでない以上、人間のあいだの正当なすべての権威の基礎としては、約束だけがのこることになる |
| ―「社会契約論」岩波文庫P20〜21― |
| ルソー |